1987.08.02 |
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第 1回大会
27チーム 128名 39隻
戦前より学校対抗として、歴史的に鹿児島市民に親しまれていた同大会を、 観光業界関連若手有志によって鹿児島の夏と錦江湾を活かした観光促進イベントとして復活。
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1988.07.24 |
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第 2回大会
56チーム 266名 70隻 スタッフ259名 総事業費675万円
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1989.07.23 |
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第 3回大会
72チーム 340名 85隻 スタッフ315名 総事業費748万円
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1990.07.22 |
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第 4回大会
125チーム 614名 141隻 スタッフ345名 総事業費1,068万円
県外参加者を対象に「桜島・錦江湾横断遠泳大会」「指宿菜の花マラソン」「霧島サイクルジャンボリー」 の3競技に参加して鹿児島・指宿・霧島の3地区に宿泊していただこうと願いを含め
「鹿児島県観光平成トライアスロン賞」を設定。多くの県外参加者が3競技へ参加
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1991.07.21 |
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第 5回大会
122チーム 579名 137隻 スタッフ339名 総事業費1,072万円
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1992.08.09 |
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第 6回大会
127チーム 635名の申し込みで準備したが台風10号の為中止
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1993.07.25 |
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第 7回大会
133チーム 665名 155隻 スタッフ275名 総事業費1,033万円
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1994.07.31 |
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第 8回大会
140チーム 700名 162隻 スタッフ242名 総事業費1,175万円
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1995.07.23 |
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第 9回大会
140チーム 700名 162隻 総事業費予定1,207万円
台風3号の為に大会は中止。海外から参加の8選手のみが台風通過後敢行し、 ドイツの新聞に大きく取り上げられ、海外に大きくアピール。
岩元恭一大会副会長作詞による大会賛歌「夢をあきらめないで」と鹿児島出身宮原晃一郎作詞による大会歌 「われは海の子」のCDを製作。
大会名誉会長に元日本水泳連盟古橋廣之進氏が就任。
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1996.07.28 |
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第10回大会
海外7カ国を含む団体780名個人52名で、第10回記念の国際大会を日本最大規模で開催。総事業費1,759万円
インターネット、英文での大会募集要項も作成し、 海外へ向けてさらに情報発信。
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1997.07.27 |
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第11回大会
海外5カ国を含む201チーム1,005名が参加登録済みで準備万端であったが、台風9号の為止むを得ず中止。
総事業費予算1,672万円
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1998.07.19 |
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第12回大会
181チーム 905名が参加。
特に日本テレビ「ウリナリ・ドーバー海峡横断部」の人気タレントチームの参加に、 到着地点の磯海岸には約7千名の応援があり大成功を収める。
また「ちびっ子水泳教室」は講師に金メダリストの岩崎恭子選手を迎えて開催。
中学生チーム‘ウォーターメイツスイムクラブ長崎‘が団体種目では過去最高記録の57分08秒で優勝。
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1999.07.18 |
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第13回大会
182チーム 910名が参加。前年の全国放送の影響で2,000名以上の申し込みが殺到。 止むを得ず県内参加者は抽選。
前年度優勝チームの‘ウォーターメイツスイムクラブ長崎‘が46分39秒の過去最高記録で二連覇。
北海道からのボランティア参加等が話題になる。
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2000.07.23 |
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第14回大会
185チーム 925名が参加。
保岡法務大臣の参加や薩摩に伝わる古式泳法神統流のデモンストレーションが 注目を浴びた。
なお、競技は男子チーム‘ウォーターメイツスイムクラブ長崎‘が55分59秒で 三連覇を達成。
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2001.07.15 |
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第15回大会
合計242チーム参加申し込みの中、先着の95チームが参加を決めていた後、 147チームの中より88チームの参加が抽選にて決定。183チーム 915名の選手と、
約90名のボランティアスタッフによる総勢約1,000名の大規模で開催。
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2002.07.21 |
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第16回大会
合計153チーム 765名が参加。
ボランティアも含めて総勢約1,000名にて晴天の中開催された。
途中リタイヤのチーム以外は、全て制限時間内のゴール達成するという好成績を残した。
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2003.07.21 |
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第17回大会
合計160チームが競技に参加。
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2004.05.09 |
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第18回大会の開催中止を決定。以後の開催予定は未定となる。
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2005.07.17 |
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第19回大会
(社)鹿児島青年会議所が、伝統ある本大会を途絶えさせてしまうのは、鹿児島の街づくりを考えたとき、 失うものが余りに大きいと感じ、新たな実行委員会設立のため諸団体に働きかけ、大会復活の運びとなった。100チーム500名が参加。
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2006.07.16 |
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第20回大会
20回目という節目の記念大会。安全体制をより強化。1チームに1人アテンダント制を導入。絶好の天候に恵まれ開催。
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2007.07.08 |
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第21回大会
安全対策の強化をはかり準備万端であったが、雷注意報発令を伴った天候不良のため中止。
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2008.07.27 |
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第22回大会
より多くの参加希望者の要望に答えるべく、参加チーム定員数を100チームから150チームへと拡大して開催。
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2009.08.02
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第23回大会
初の試みとして桜島フェリーを貸し切っての前夜祭を実施。150チームが参加し、絶好の天候に恵まれ開催。
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2010.08.01
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第24回大会
より多くの参加希望者の要望に答えるべく、参加チーム定員数を150チームから165チームへと拡大して開催。初の試みとして特別出場枠として小学生チームが参加。
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2011.08.07 |
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第25回大会
台風接近を伴った天候不良のため、中止。
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2012.07.15 |
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第26回大会
安全性の精度上げるため、再び参加チームを150チームとして開催。直前に九州北部豪雨が起こり、参加出来ないチームもあったが、晴天の元、開催することが出来た。
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2013.07.14 |
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第27回大会
150チームが参加。大会の安全性を特に重視するとともに、会則・大会ルール・緊急時の対応などをHP上に掲載し、誰でもいつでも確認できる体制を整えた。
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2014.08.03 |
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第28回大会
大会復活10年目。更なる知名度向上及び情報公開を図るべく、大会Facebookページを作成。一般成人150チームと選抜小学生5チームの合計775名の参加者が県内外から日本ジパークにも認定された桜島・錦江湾に集う。また、前夜祭も「かごしま一心祭」と銘打ち、鹿児島市民を巻き込みも視野に入れ、鹿児島市中央公民館で開催予定でしたが、天候不良により止むを得ず中止。
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2015.07.26 |
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第29回大会
遠泳大会に参加しない方へも興味をもって携わって頂こうと、参加者とボランティアが着用する大会記念Tシャツのデザインを公募する企画を実施。また、今後の大会の永続的な大会開催を視野に、安全面の充実を図りながら成人150チーム、選抜小学生5チームの合計775名を募集して開催する予定だったが、天候不良により止むを得ず中止。
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2016.07.10 |
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第30回大会
30回記念大会として、仙巌園にある反射炉跡を含む旧集成館事業跡が明治の産業革命遺産として世界遺産に登録されたことを含め、鹿児島の桜島・錦江湾の素晴らしい魅力を今後も継続的にPRすべく、初の試みとしてドローンを使った撮影、録画公開を予定していたが、天候不良により止むを得ず中止。
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2017.07.16 |
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第31回大会
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2018.08.05 |
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第32回大会
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